青木マリduo+(ゲスト:柴田奈穂)2016.2.26

2016年6月5日日曜日

映画「オマールの壁」

先週、ちょっと時間が空いたので観たかった映画「オマールの壁」を観に、渋谷UPLINKへ。

100%パレスチナ人による、パレスチナで撮影された映画、しかも、ドキュメンタリーではなく、劇映画。

軸になるストーリーは、どこの世界にもある、若者の友情、恋愛、嫉妬、信頼と裏切りの物語だ。

でも、「パレスチナ」という、占領下の社会のなかで、それは絶望的なまでの極端な悲劇となってしまう。

監督は言う。描いているのは、政治や社会問題ではないと。しかし劇映画としてよく出来た演出、演技が描き出すのは、やはり「占領」という暴力の理不尽だと思う。

想像してみる。
幼なじみの家に行く、また恋人に会うために高さ8メートルもの壁を越え、たまには銃で狙われたりする日常を。
占領軍兵士の気まぐれで殴られたり、屈辱を受けても黙って耐えるしか無い無力感を。
そういう不要な緊張感を強いられる暮らしの中、ふと見え隠れする「協力者」と呼ばれるスパイ。
誰もが疑いをかけられる可能性。
仲間を信じて命を賭しての行動に必要とされる強い絆を、疑念が切り裂いていく。
また、特に説明も無いけれど、逃亡者を家に入れ、何事も無く裏口から逃がしてゆく町の人々の慣れた感じや、占領者に石を投げる子どもたちの姿も路地の風景のようにサラッと描かれている。



通りすがりの老人の一言が印象的なシーン



今の日本では普段の暮らしの中で、「あの人スパイかも」って思うこと、あんまりないと思うんだよね。産業スパイとかはあるかもしれないけど、暮らしの中で、銃を持った特殊警察が乗り込んでくるような緊張感はなく、とりあえず平穏に暮らせてる。
日本はどんだけ悪くなったと言われても、今はまだ、そこまでは行ってない。
(うかうかしてるとすぐそうなる危険はおおいにあるし、沖縄の基地のことを忘れてるわけではなく)

でも、世界の何処かではこれが普通の背景だったりしてる。
そして、私達のいるところだって同じ世界の中で、強い歪みを感じてることには間違いない。
様々に形を変えた歪みによる「壁」がそこら中に立ちはだかっているじゃないか。


人を愛する気持ちが孕む矛盾が、極端な背景だからこそ鮮烈に浮かび上がってくる。
疑心暗鬼が愛しい世界を壊してゆく様子が主人公の寡黙さとともに淡々と描かれていく。

「イスラエルが悪い」とかいう単純な構造ではない、でも、根本はとてもシンプルな人類の問題かもしれない。


子どもが生まれてからの私は、日常をなるべく静かに暮らすようこころがけているから、映画の心理的緊張感に耐えられず、時折薄目になりながら、ずっと胸を押さえたままで、やっとの気持ちでスクリーンの前に座っていましたよ。




まだ上映中だし、ストーリーのある劇映画だから内容はあんまり書かないけど、
主役や、中心となる若い俳優陣が瑞々しく、魅力的である故に、ラブストーリーに感情移入すればするほど、辛さがつのる、心にものすごく重たい一石を投じる映画でした。

ラストシーンの後、エンドタイトルが上がって行く間、観客が誰も動かず声も立てずにいたので、皆同じように感じてたと思う。

「言葉もでない、涙もでない、感動を超えた何かの痕が心に刻まれる。
アップリンク設立29年。今、この映画を観てほしい。
世界を均質化する力と闘うために。」──アップリンク代表 浅井隆

浅井氏のことばの通り、
涙するでもなく、感動のため息さえも出ないほどの問いと答えを受け取った気がしました。



「オマールの壁」公式サイト







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