青木マリduo+(ゲスト:柴田奈穂)2016.2.26

2017年5月30日火曜日

共謀罪について

組織犯罪処罰法改正案、いわゆる「共謀罪」の参院審議が始まりました。

わたしは、そんなに知識もないし、一介の歌うたいが、知ったかぶってんじゃねーというご批判も承知の上で、少し書かせてください。

組織的犯罪を実行する前の準備の段階で罪に問える、一体どういうことなんでしょうか。
「実行するかどうかは別として、疑わしいものは逮捕捜査する」ということではないでしょうか。

法務大臣は答弁で、「一般の方は対象になりません。」の一点張りですが、それってどういうことなんでしょうか。何を持って「一般人」「犯罪集団の構成員」と判断するのでしょうか。そして、その判断は誰が?捜査してみて初めてわかるのではないですか?

わたしは、もう長いこと歌をうたっていて、バンド関係、音楽関係の仲間がたくさんいます。ちょっと不良っぽいひともいれば、ただただ音楽を追求してる音楽オタク的な人もいるし、音楽だけで食べてる人、バイトもしてるひと、お勤めの傍ら音楽を愛好してるひと、それぞれです。好みも考え方もいろいろですが、良い音楽を求める気持ちでつながっています。
やがて、子どもを授かって、歌い手としての私ではなく、母親、地域の子どもの保護者という属性も持つ様になりました。それは、子どもがたまたま同じ地域、同じ年代、というだけの接点で、親がどういう職業、国籍、思想信条など関係なく、「保護者」として、くくられ、関係を保っています。
子ども同士が仲良くなれば、親同士もメールなどのやり取りをし、会って話す事も多くなり、「ママ友」として仲良くなったりすることもあります。その中には、わたしのような歌うたいもいれば、お勤めの人、宗教を深く信じている人や政治団体の人も、もちろんいます。
でも、普段はあまりそういう話はせず、「保護者」「ママ友」としての子どもを介した関係での話題や付き合いが中心で、それはそれで仲良くできるものです。
犬を飼うようになって、更に犬の散歩仲間もできましたが、こちらも同様です。
ある場面ではミュージシャンとして、ある場面では保護者、犬の飼い主として、その他諸々微妙に重ね合いながら、それぞれの属性のなかでの付き合いをしています。
つまり、誰もが、幾つものいろんな属性を持ちながら、場面場面で使い分けたり、了解しあって人付き合いをしているのではないでしょうか。
大臣の言うところの特定の犯罪組織の構成員とされるひとだって日常生活をしていて、外部の人と人間づきあいをするはずです。そんな中で、メールやLINEのやり取りまで捜査の対象となり得るのであれば、あらゆる人が犯罪の協力者として監視される、ひいては逮捕勾留される可能性がある、ということですよね。

世界が不安定。組織的な犯罪が怖いから仕方ないのでしょうか?
「自分はやましいところがない、だから大丈夫、調べられても構わない。」
仮にそう言い切れたとしても、もし共謀罪が成立したら
「あのひとはちょっと怪しい。政府に批判的なことを言ってる。」
誰かについてそんな噂を聞いたら、その人とは自然と距離を置いてしまうようになるのではないでしょうか。
そして、自分の身に降りかからないように、口を閉ざすばかりになるのではないでしょうか。
極めて不健全ですし、ましてや自分が疑われることがない、と誰が言い切れるのでしょうか。告発者に対する取り扱いも、要らぬ疑心暗鬼と分断のもとになりはしないでしょうか。
今までよりずっっと自由の領域が狭められてしまうことに間違いなさそうです。ただ思ったことを歌ってるだけですが、わたしの歌詞もアウトかもしれません。

犯罪の定義が曖昧で、取り締まる側の厳しい規制もない。いつも誰かに監視されてる気分で暮らす日常って、幸せなんでしょうか。

こころの中くらいは自由にしておいてほしい。

かの、悪名高い治安維持法も、制定されてから少しずつバージョンアップして、たくさんの犠牲者を出した天下の悪法となったと聞きます。また、その法律を使う側としても今まで違法とされた捜査もできるようになるってことですから使えるものは何でも使うでしょう。良くも悪くも。
そもそも「テロ等準備罪」と言われていたのが、もはや「テロ」の文言さえ使われなくなりつつあります。じゃ、何のため?誰が得するんでしょう。

疑問はいっぱいですが、国会での答えは得られていません。時期が来たら採決。それだけの国会になってます。

ただ、疑問だと問う事もためらわれる世界。

来ないでほしい。

共謀罪の廃案を強く求めます。





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